最強の力士といえば、千代の富士!
そんなふうに考えていたのならば、その考えを改めなければなりません。
ミオスタチン関連筋肥大を武器に神をも打倒する力士がここにいた!
この記事を読むと以下のことが話せるようになります。
雷電為右衛門の神器錬成と担当戦乙女
必殺技からのシヴァとの攻防
実際の雷電為右衛門はどんな人だったのか?
それではいってみましょう!
終末のワルキューレの『雷電為右衛門』の『神器錬成』をネタバレ解説!
雷電為右衛門のヴェルンドとヴァルキリー
神器名
超筋外骨締廻(ちょうきんがいこつしめまわし)
戦乙女
スルーズ(三女) 名前の意味は「強き者」
巨体で体格の良いワルキューレ。雷電為右衛門の本気の求愛にときめき、相思相愛の仲になる。超筋外骨締廻に神器錬成して、雷電為右衛門の制御不能な暴れ筋肉を制御可能な状態にする。
形態
廻と、雷電為右衛門の体に走る刺青のようなライン。
雷電為右衛門自身が生まれた時に授かってしまった、己の身をも壊しかねない暴走筋肉。雷電為右衛門はその暴走筋肉を押さえ込むために、更に筋肉で固め抑制した。曰く「百閉(ひゃくへい)」。生前はその百閉の状態で相撲界最強を築き上げて来たが、神相手に筋肉の鎧である百閉を解除、暴走する筋肉を制御可能な筋肉に抑制するための廻に三女スルーズは神器錬成した。廻や体全体に走る刺青状のものが神器であるが故か、雷電為右衛門の攻撃全てが破壊神シヴァにダメージを与えられるようになっており、雷電為右衛門の体自体が神器に等しい状態になっている。
雷電為右衛門の必殺技
百閉解除(ひゃくへいかいじょ)
雷電為右衛門が生まれながらに備わり、制御不可能な暴走筋肉を押さえ込むためにつけた筋肉の鎧を、胸を歯車のように捻る事で解除する。本来なら暴走筋肉に飲み込まれ肉体が壊れるところであるが、神器の超筋外骨締廻の力で抑制され、雷電為右衛門の最強の筋肉となる。
シヴァの反撃
破壊神シヴァは、自ら筋肉を暴走させる雷電為右衛門の姿を見て、自滅かと呆れてしまうが、筋肉を制御可能になった雷電に「壊れんなよ?」と煽られ、苛立っていた。
菊一文字(きくいちもんじ)
雷電為右衛門が暴走筋肉を右腕に集中させ、威力を極限まで高めたラリアット。
シヴァの反撃
破壊神シヴァは首にもろに菊一文字を食らい、吹っ飛ばされた。
抱き地蔵(だきじぞう)
破壊神シヴァの背中に手を回し、文字通り抱いているかのようにホールドした状態で頭突きを喰らわせる技。
シヴァの反撃
破壊神シヴァも負けじと頭突きで応戦。石頭なら負けねぇとお互い額から流血し、五分五分の威力であった。
乱れ牡丹(みだれぼたん)
破壊神シヴァの4本の腕の内一本を握りしめ、両腕に暴走筋肉を集中させる事で破壊神シヴァの腕を握り潰した技。
シヴァの反撃
危機を瞬時に察知した破壊神シヴァは即座に回避しようとしたが、腕を一本破壊され、使い物にならなくされてしまう。神側も人間が神の腕を握り潰したと動揺を隠せない様子であった。
深山(ふかやま)
両腕に暴走筋肉を全集中させ、巨大な壁のように硬化させ、盾のように変化させた防御技。シヴァの絶え間ない踊るような連続攻撃に耐えるために発動した。
シヴァの反撃
変わらず絶え間ない連続攻撃を続ける破壊神シヴァ。雷電為右衛門の防御もついに限界を迎え、突破され、シヴァの超燃焼した体による蹴り技によって体に大きな傷を負わされてしまう。
八咫烏(やたがらす)
雷電が生前、自ら使うことを禁じた4つの技のうちの一つ、「鉄砲」を暴走筋肉によって更に威力を増幅させた、雷電為右衛門最強の一撃。
しかしながらあまりにも強すぎる威力のせいで雷電為右衛門の体への負荷もかなり大きい。
シヴァの反撃
危険を感じたシヴァは瞬時に腕でガードの姿勢を取ったが、ガードしていた日本の腕は八咫烏の凄まじい威力によりちぎれ、吹き飛び、シヴァも壁に激突するほど張り飛ばされてしまった。傍観していたゼウス曰く、防御していなかったらシヴァの頭は吹き飛んでいただろうと称賛するほどの技。
雷電為右衛門の史実エピソード
雷電為右衛門は信濃国出身の元大相撲力士で、本名は関 太郎吉(せき たろうきち)。254勝10敗2分、優勝は28回と、驚異の戦績を誇る。勝率96.2という大相撲史上未曾有の最強力士と評されている。
作中でも描写があったように当時の角界の第一人者だった谷風梶之助の内弟子として稽古を付けてもらい、才能を開花させる。
雷電為右衛門は初土俵時の体格が身長6尺5寸(197cm)で、体重も45貫(169kg)と伝わっており、日本人の平均身長が現在よりかなり低かった江戸時代からすると相当な大男だったと伝えられている。
雷電為右衛門はあまりにも強かったので、鉄砲・張り手・閂(かんぬき)・さば折りの4つの技を禁じられたと伝わっている。雷電為右衛門の閂(かんぬき)で、相手力士の腕が折れる事件が起こったことが発端と言われているが、雷電為右衛門の生涯や伝説には不明な点も多く、その真偽は定かではない。また現役引退後、晩年の様子は諸説ある様子。