こんにちは!
週末にのんびり過ごすと、罪悪感で22時ごろには気持ち悪くなる・・・ぼくです!
なんででしょうね。
楽しく過ごしているはずなのに、自分の成長に関わることをしていないと、気持ちが悪くなってしまうというのは。
まあ、何が成長で何が成長でないのか、ってのも曖昧ですし、成長って何のためにするのかと考えれば、楽しく過ごすためなのかもしれないので、楽しく過ごすことができれば、成長なんて必要ないんじゃないの? って思いもありつつ、気持ち悪くなるなら楽しく過ごせてないんじゃないの?って気持ちもありつつ・・・難しいところですが、そんなモヤモヤよりももっとモヤモヤする、ゲラルトの最後の願い考察の続きです。
海外のフォーラムでも、「イェネファーとゲラルトの運命を結びつける」という説が、一番有力な説ということなので、その説についての考察をまとめてみたいと思います。
結論
個人的には、「違う」と思っています。
理由
「俺と、イェネファーの運命を結び付けろ!」
・・・って願い方します?
というか、どういう願いだか意味がわからないです。
で、なんでこの説が有力視されているかという理由ですが、それは2つあります。
ひとつは、ジンは主を殺せないという法則を利用しているということ。
ひとつは、ウィッチャー5湖の貴婦人で、ゲラルトが死ぬと同時に、イェネファーが死んだということ。
この2つからなる説だと思われます。
しかしです。
なぜ、この説が多く支持されているのかは、甚だ疑問です。
なので、ちゃんとこの説を理解しているひとがいればぜひちゃんと教えて欲しいくらいです。
解説
- 短気で強力な精霊ジンですが、主を殺すことはできません。
- 自分を無理に使役しようとしたものを許しません。
- イェネファーはゲラルトの願いのおかげで救われました。
- ゲラルトは、イェネファーの過去を知り、願いを決めました。
- イェネファーはゲラルトの願いを知り、とても感動しました。
- そして、ゲラルトが死ぬと、同時に、イェネファーも死にました。
で。
この説って2/6しか適合してない気がするんですよね。
適合していると思うのは、「そして、ゲラルトが死ぬと、同時に、イェネファーも死にました。」と、「自分を無理に使役しようとしたものを許しません。」の2つしか適合していない気がします。
ん?
この説の根拠だった、ジンの願いの抜け道を利用したって話は? ってことですよ。
だって、運命を結びつける、って抽象すぎてなぜそれが、命を繋ぐということになるのかがわからないじゃないですか。
わかるんですよ。わかる。
気持ちはわかるんです。
運命の子、とかね。
驚きの方とかね。
ウィッチャーって何かと「運命」を強調してくるじゃないですか。
それを詩的(?)に願いにまとめようとしたら結果から逆算したら、そういう答えになったってのが本当のところなんじゃないでしょうか。
冷静に考えれば、運命を繋ぐ=命を繋ぐではないですよね?
運命を繋ぐ≠命を繋ぐですよね。
運命づけられていても、死ぬものは死ぬでしょう。
なので、それがゲラルトの命とつながっていると、明確な願いとして成立していない限り、ジンはイェネファーの命を奪うことができたはずなんです。
だから、もし「イェネファーと運命をつないで欲しい!」と願ったとして、その願いを聞き届けた瞬間に「自分を無理に使役しようとしたものを許しません。」に準じて、イェネファーを殺すことができたはずなんです、ジンとしては。
運命な訳なんで、「イェネファーの死を見とる運命」という解釈でも良かったわけですから。
ちなみに、ジンが必ず主の願いを主の真意を鑑みて、良い方向にかなえるわけではないことは、ひとつめの願いでもわかっています。
ヤスキエル(ダンディリオン)はゲラルトの親友です。
ゲラルトはヤスキエルを傷つけたいなんて思ってません。
が。
「安らぎが欲しい」
という願いに対して、その際のストレス要因であった、親友のヤスキエルの喉を魔法で攻撃します。
ヤスキエルの声を奪おうとします。
これはゲラルトの真意ではなかったはずです。
ゲラルトの願いに悪意を持って応え、かつおもしろがってさえいます。
なぜなら、悪意を持って答えるだけなら、ヤスキエルを殺してしまっても良かったからです。
なのに、あえて、助かる方法を残した状態で、ヤスキエルの喉を攻撃するということは、ゲラルトの願いをかなえつつ、ゲラルトを困らせてやりたいとも思っているように思えるからです。
それに、「運命をつないで欲しい!」という願いではイェネファーが感動する、に繋がりませんし、イェネファーの過去を知った上での願い、ということにもならないでしょう。
なので、有力説とされていますが、この仮説は結果から導き出されたもので、現実的なものではないと考えます。
了